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福島地方裁判所郡山支部 昭和61年(ワ)219号 判決

主文

一  被告は

原告助川義光に対し金一三〇万円

同助川光知子に対し金五〇万円

同内山町子に対し金一七〇万円

同内山博に対し金八〇万円

同遠藤俊一に対し金五〇万円

同株式会社丸忠佐藤材木店に対し金五〇〇万円

同佐藤勝久に対し金一五〇万円

同佐藤貞に対し金一五〇万円

同佐藤保夫に対し金五〇万円

同株式会社丸蒲青果総合食品市場に対し金一九〇万円

及びこれらに対する昭和六一年八月二二日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

同土橋進に対し金五〇万円

及びこれに対する昭和六一年八月二一日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを四分し、その三を原告らの連帯負担とし、その一を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告助川義光に対し金五六五万五九二三円、同助川光知子に対し金五四七万九二三円、同内山博に対し金二一三万円、同遠藤俊一に対し金一一七万円、同内山町子、同株式会社丸忠佐藤材木店、同佐藤勝久、同佐藤貞、同佐藤保夫、同株式会社丸蒲青果総合食品市場に対しそれぞれ各金一〇〇〇万円、同土橋進に対し金一一四万円及び以上の各金員に対する昭和六一年八月二二日(同土橋進については同月二一日)より支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位

(一) 原告助川義光・同助川光知子・同内山町子・同株式会社丸忠佐藤材木店・同佐藤貞・同佐藤勝久・同佐藤保夫・同株式会社丸蒲青果総合食品市場は、被告郡山市(以下被告市という)の実施するいわゆる「郡山駅西口市街地再開発事業」(以下本件再開発事業という)区域内に土地又は建物を所有する者である。

(二) 原告内山博は、その妻内山町子と本件再開発事業区域内に同居して有限会社うちやま名店センターという郷土銘菓、民芸品を販売する会社を営業するものである。

(三) 原告助川義光は、本件再開発事業区域内において有限会社助川洋服店を営業するものである。

(四) 原告遠藤俊一は原告株式会社丸忠佐藤材木店の代表取締役の立場から同会社を代表して、また原告土橋進は原告株式会社丸蒲青果総合食品市場の取締役の立場から同社を代理して、原告助川義光は地権者としてまたその母原告助川光知子を代理して、原告内山博は前記(二)の営業権者としてまたその妻原告内山町子の代理人として、常に地権者会議に出席して説明会、勉強会、研究会、陳情活動、被告市との各種交渉その他のあらゆる活動に積極的に参加協力して、長期にわたり労力と資金を投入し、本件再開発事業の早期実現に懸命に尽力してきたものである。

2  本件再開発事業の主な経緯

(一) 被告市は、昭和四六年四月頃から、郡山駅西口の総合整備開発について郡山商工会議所地域開発委員会と懇談を始め、同四八年七月には、都市計画課に都市開発係を新設して再開発事業基本調査を実施し、同四九年七月には、原告らを含む地権者(佐藤義郎を会長とする一五名)らと懇談会を開いた。

(二) 被告市の計画に基づき福島県知事は、同五〇年三月に「駅前広場、道路等の都市計画案」の縦覧を実施し(この間同年七月一日には被告市に都市再開発課が新設された)、同年七月二五日には右計画は決定し、駅前広場面積は一万八〇〇平方メートルから二万一三〇〇平方メートルに拡張され、また駅前大町線の起点が変更され、かつ幅員が一八mから二八mに変更されることになった。

同年八月、被告市は地権者らに対し右決定内容の説明を行なった。

(三) 被告市の計画に基づき福島県知事は昭和五〇年九月三〇日から翌一〇月一三日までの間、「市街地再開発事業区域の都市計画案」を縦覧に供し、同年一一月二一日右計画は決定され、右事業区域面積は約三ヘクタールとされ、また同日、「用途地域」の変更も決定された。右決定により原告らを含む右区域内の地権者らは、その所有する土地、建物の建築や譲渡に関し、都市計画法及び都市再開発法に基づく絶対的な各種の法的制限規制を受けるに至った。

(四) 被告市は、昭和五〇年一〇月一九日前記(三)の県の事業区域の都市計画の決定に合わせ、「都市計画道路」の変更を決定し(駅前一号線を一二〇m延長し幅員を九mとし、駅前二号線を五〇m延長し幅員を九mとした)、さらに同日「都市計画高度利用地区」を決定し、建築物の延べ面積の敷地面積に対する割合の最低限度が三〇〇%で最高が八〇〇%に、建築物の建築面積の最低限度が一〇〇〇平方メートルに定められた。

(五) 被告市はその後、市議会、駅前大通り商店街振興組合、商工会議所、青年会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、各権利者団体らに対し、度々事業概要の説明を行なっていたが、地権者らは昭和五四年三月六日、駅前再開発地権者協議会を発足させ、訴外佐藤義郎を代表者とする原告らを含む地権者一五名で結成された。

(六) 郡山市議会は、昭和五四年六月駅周辺総合開発特別委員会を発足させた。

(七) 被告市は、昭和五四年九月一四日、郡山駅西口に郡山駅前事務所を設置し、また同年一一月一三日には仙台通産局に対し事業概要の説明をし、同月二一日には、高橋前市長から商工会議所正副会頭に対し事業計画が提示されるに至った。

(八) 地権者協議会は、藤沢市、柏市、大東市、枚方市、神戸市、東京都、横浜市、大和市等の先進地視察の成果をふまえながら、被告市との間で、昭和五五年七月二八日協議し、次のことを確認し合意した。

(1) 被告市は、事業に対する具体的方針を提示し、配布した事業説明資料と併せ採算性の検討も進めるものとすること、再開発事業の行程期限は昭和五七年一二月完了を目途に検討を行なうことを提案し地権者側はこれを了承した。

(2) さらに被告市は、説明資料と採算性を検討する場合の判断すべき事項の提示をなし、又地権者側は、地権者協議会の全体会との検討の他に地権者個人別に各論につき検討することを提案し、互いにこれを確認しあった。

(3) さらに地権者側は、テナントを内定して条件の煮つめを行わなければ事業に対する賛否は出せないため、テナント選考とその方法について提案し、被告市はこれに合意した。

右同日地権者協議会はテナント選考委員五名を選出した。

(九)郡山商工会議所は、昭和五五年一〇月一一日駅周辺開発特別委員会を発足させた。

(一〇)(1) 昭和五六年三月一九日、再開発ビル入居者(テナント)選考委員会が発足し、同会は同年七月二二日までに六回の委員会を開き、同月二九日被告市に対し、再開発ビル入居者に関する基本方針を答申した。

(2) 被告市は、同年八月一日以降その広報誌「広報こおりやま」に事業内容を掲載し、全世帯に配布した。

(一一)(1) 昭和五八年六月五日、被告市と地権者協議会とは、権利変換方式による床の賃貸条件について話合い、各地権者毎の家賃純利益と保証金運用利益について金額を提示し、地権者らはこれに対し合意した。

(2) 同年六月一〇目地権者協議会は、被告市が誘致しようとしていた「株式会社そごう」(以下「そごう本社」という)をキーテナントとすることに合意した。その後被告市は、本件再開発事業の概要書を作成し、権利者の資産を床に変換すること、再開発ビルオープンは昭和六〇年九月一日とすることなどを明らかにした。

(3) 高橋前市長は、同月一一日「そごう本社」をキーテナントとして入居させることを市議会に報告した。

(4) 「そごう本社」は被告市の職員と共に、市議会報告の後、市議会正副議長を皮切りに、商工会議所正副会頭、各商店会長、その他関係団体、県(副知事、土木部長、商工労働次長)、報道機関に対し出店のあいさつ廻りをした。

(5) 同年七月二七日「株式会社郡山そごう」(以下「郡山そごう」という)が設立され、具体的開店準備段階に入った。

(6) 同年九月、市議会九月定例会において、「駅西口市街地再開発事業促進」議案が提出され、開発事業の早期実現が決議された。

(一二) しかも、被告市は原告らを含む地権者との間には、以下に述べるように、地権者の再開発区域外に転出するための、代替用地取得依頼に応じ既にその希望地を具体的に取得する等具体的・個別的活動及び準備行為を行なってきた。

(1) 原告助川義光・同助川光知子

〈1〉 原告両名は、昭和五九年九月二七日被告市に対し「郡山駅西口市街地再開発事業の施行に伴い、従前資産のうち住居部分の移転を余儀なくされますので左記用地の取得をお願い致します」(以下単に代替用地の取得依頼文書という)という内容の依頼をなし、住居の用地として

所在 郡山市神明町

地番 一〇七番四

地目 宅地

地積 三四七・一〇平方メートル(登記面積)を願い出た。

〈2〉 被告市は、右依頼に応じ同年一二月六日、右土地を買い上げ同年一二月一四日受付第四五三四九号として所有権移転登記手続を経て被告市名義で取得し、原告らは転出の準備を済ませていた。

〈3〉 しかも、原告両名は、6(三)ア[[2]]に記載の如く、〈1〉住宅新築設計図面を業者に依頼して完成しており、又〈2〉代替地先にある建物を取り壊して更地化し、建物をいつでも造れるよう準備し、さらに〈3〉移転先代替土地を測量し又境界確認証明手続まで済ませ、いつでも工事に着手できるようにしてあった。

(2) 原告内山町子

〈1〉 原告は昭和五九年四月二〇日被告市に対し、前記代替用地の取得依頼文書を提出して住居用地として

所在 郡山市大町一丁目

地番 一六四番二及び一六四番三

地目 宅地

地積 三三〇・五五平方メートルを願い出た。

〈2〉 被告市は、右依頼に応じ、同年七月二四日右土地を買い上げ同年八月一日受付第二七〇七四号として所有権移転登記手続を経て被告市名義で取得し、原告は転出の準備を済ませていた。

〈3〉 しかも原告は、6(三)イ[[2]]記載の如く、新築設計図面を業者に依頼して図面を完成している。

(3) 原告株式会社丸忠佐藤材木店

〈1〉 原告は、被告市に対し代替用地取得を依頼し

所在 郡山市大町一丁目

地番 二八三番三

地目 宅地

地積 一八五・八六平方メートルを願い出た。

〈2〉 被告市は右依頼に応じ昭和五六年四月一六日右土地を買い上げ、同年一〇月三〇日受付第三八九八三号として所有権移転登記手続を経て被告市名義で取得し原告は転出の準備を済ませていた。

(4) 原告佐藤保夫

〈1〉 原告は、移転先代替用地を被告市に希望し、被告市は既に買い上げてあった左記被告市名義の土地を原告に取得させた。

所在 郡山市長者二丁目

地番 一六六番

地目 宅地

地積 四七九・三三平方メートル

〈2〉 原告は、被告市より昭和六〇年三月二二日付売買を原因として同日受付第九四二七号で所有権移転登記手続を済ませた。

(一三) 大規模小売店舗における小売業の事業活動に関する法律(以下大店法という)第三条届出書提出と受理

(1) 被告市は、昭和五八年六月から八月にかけて、大店法第三条届出に関し、市商店街連合会や商工会議所、商工会連絡協議会、地権者協議会、各種団体等に対し事前説明を精力的に行なった。

同年九月から一二月までは、その他の各種説明会を開いた。

(2) 福島県知事から、昭和五九年一月一〇日付で、被告市に対し「仙台通産局長に対し、出店予定地が『第一種大規模小売店舗の出店が相当水準に達していると認められる市町村』に該当するか否か照会したところ、通常の手続によって処理するよう回答を得た。」旨の通知がなされた。

(3) 同五九年一月一四日、被告市は、県知事に対し大店法第三条届出書を提出した。

(4) 福島県知事は同五九年二月二四日、被告市の計画に基づき、「建築物の規模及び用途、路上立体横断施設(ペデストリアンデッキ)の設置」について告示した。

(5) 地権者協議会は、同五九年二月八日、仙台通産局、県商工労働部に対し、「大店法に基づく信義の早期実施について」陳情し、同月二〇日、五月三〇日、六月二二日、八月七日、九月一四日と地権者全体会議を開き、又八月一一日には被告市に対し、「事業の明確な見通し等を文書で回答してほしい」旨の要望書を提出し、八月一三日には仙台通産局、県(商工課)に対し要望書を提出するなどして、一日も早い本件再開発事業の実現に懸命の努力をした。

(6) 福島県知事は同五九年一〇月四日、大店法第三条届出を受理し、同月六日被告市に対し右通知がなされた。その後被告市は、再開発ビルオープンを昭和六一年一〇月一日とすることに変更した。

(7) 商工会議所会頭は同五九年一一月二九日、商業活動調整協議会(以下商調協という)に対し、「郡山そごう」出店についての審議を要請した。

(8) 「郡山そごう」は、昭和六〇年二月二二日、商調協にて出店計画概要について説明した。

(9) 商工会議所は、同年三月二六日郡山地域商業近代化地域計画策定報告会を開催し、本件再開発事業は、被告市の新総合計画の中で、中心市街地の整備近代化を促進するうえで最重要地域の開発事業であること、今後とも同開発事業の核となる再開発ビルには「郡山そごう」をキーテナントとして入居させ、本件再開発事業を全力をあげて早期実現に努力することが報告され、併せて被告市に対する関係官庁、諸団体、市民及び地権者らの絶大なる協力に対し謝意を述べた。

(一四) 本再開発事業には、昭和六〇年三月末日までにおよそ国・県から補助金として計金一三億八〇〇〇万円、被告市から約一〇億円が投入されており、また昭和六〇年度新年度分としての国及び県の補助金は計約金一一億六七〇〇万円余であり、被告市の予算化予定額は約金六億七〇〇〇万円余であった。

3  被告市の不当な計画見直し変更

(一) ところが、昭和六〇年四月二七日被告市の新首長に現市長青木久(以下青木市長という)が就任するや、三選を果たせず市長選で敗れた前市長高橋堯(昭和五二年四月以来八年間在職)のもとで進められた前記2の本件再開発事業の「権利変換方式による再開発ビルを建て、そごう百貨店をキーテナントとする」施策は、突然「見直す」ことを表明して、計画の変更を次のように言動した。

(1) 青木市長は、報道機関等に対して「権利変換方式でなく、第三セクターなどの方法で商業ビルにかわる緑地コンベンション施策を考えるべき」「駅前広場は私としては緑地(再開発ビルでなく)が一番よいと考えています」「再開発事業は基本的には変わらないが、整備する方法は再考したい。再開発ビルに入る郡山そごう問題は商調協で審議中なので、進展を見守りながら賛否両論を聞き、私の意見を述べて市民のコンセンサスを得たい」旨発言した。

(2) また青木市長は、同年五月一七日の地権者協議会との懇談会において「開発地域(約三ヘクタール)の半分程度を緑豊かな小公園とし、残りにショッピング街、合同庁舎(第二県庁)や第三セクターによる都市型ホテルなど入れる一六階建ほどのコンベンションシティー型ビルを建てればよい」旨発言した。

(3) また、同月二一日の商工会議所正副会頭との懇談会においても、前記(2)と同旨を述べさらに「六月定例議会には間に合わないが、地権者の利益を第一に考え、皆さんの協力で九月議会までには考え方を具体化させたい」と述べ原計画の変更を事実上認める発言をした。

(4) 青木市長は、昭和六〇年八月二〇日、見直し案の概要をまとめ地権者と市議会に提示した。その特徴は、大型商業ビルの現行の計画に対し、ホテルや貸事務所など業務面積を加えた複合ビルとし、管理方式は現行計画が「郡山そごう」なのに対し、第三セクター方式とすること、又ビルの面積は現行計画が地下二階地上九階なのに対して、地上二一階とすること、駐車場は現行計画の約四倍の一万平方メートルとすることなどである。しかし、面積配分やテナント選定などについて何ら具体性に欠ける提案内容であった。これに対し地権者らは、見直し案は誠にお粗末なもので同意することはできなかった。

(5) 青木市長は、同六〇年八月二四日地権者協議会で「提案したホテルや貸事務所など業務面積を加えた複合ビル(二一階建て)の見直し案を撤回し、現行計画を推進する」と発表した。見直し案提案後僅か四日目にして撤回を表明したため、地権者をはじめ、あらゆる関係諸団体、官公庁、住民は被告市及び青木市長に対し極めてぬぐいきれない不安と不信を感じ、被告市の行政に対する信頼は強く裏切られた。

(6) 同六〇年九月二五日仙台通産局において、仙台通産局、福島県、被告市、郡山商工会議所は四者協議会を開き、商調協が同年三月以降中断している点を協議し、被告市が「郡山そごう」に対し、出店の意思を確認した上で審議を早期に再開させることを確認した。

(7) 同六〇年一〇月三〇日開かれた地権者協議会と青木市長との懇談会において地権者側は「現行計画で推進することを決定した以上、早急に商調協再開を要請すべき」ことを強く要求したのに対し、青木市長は「市長とそごうのトップ会談は、商調協再開の条件ではないが、商調協の混乱を招かないためにもそごうと煮つめる必要がある」と答弁し、又更に商調協再開に時間がかかる趣旨の発言をした。為に、地権者側は「市長の真意が判らない」と詰めよったが、青木市長は、商調協審議のタイムリミットについても明言を避けたため、現行計画が具体的にいつ動き出すのか、まったく見通しがたっていないことが明らかとなった。

(8) 青木市長は同六〇年一二月三日、郡山商工会議所正副会頭会議懇談会において、開店時期などの商調協の審議四項目について、「郡山そごう」との間のトップ間の確認作業が更に遅れていることを明らかにした。

(9) 被告市は同六〇年一一月二五日、郡山市議会の駅西口再開発事業促進特別委員会で「駅前再開発ビルの完成見通しは、当初計画より三年ほど遅れ、同六三年一〇月ころになる」こと、「商調協は同六一年一月をめどに再開することに県と仙台通産局とに指導をあおぐことにする」などと説明し、更に再開発ビル完成の見通しが、またまた遅れることを発表した。

(二) 以上の通り、被告市は都市型百貨店誘致に積極的かつ意欲的な前高橋市長から青木市長に交替したとたん、一方的に「見直し」を発言してその案を提示し、更に再び「見直し」案を撤回し、現行計画で推進すると言明した。にも拘らず、商調協を遅々として再開させないなど、極めて消極的でその関係者に対する対応は不誠実であり、本気で推進する真意があるとは理解できない対応に終始した。

為に、「郡山そごう」をはじめ、地権者その他の関係諸団体は、行政の一貫性、継続性に対する信頼を失なったばかりか、青木市長に対する不信が極めて増大した。

4  「郡山そごう」の出店の辞退

昭和六一年一月七日、本件再開発ビルの核店舗として出店することになっていた都市型百貨店「郡山そごう」は、出店計画を断念し、出店を辞退する旨を被告市らに通知し、同通知は被告市に同日郵送された。井上盛市社長の記者会見によると撤退の理由は「昨年四月青木市長の当選後、事業計画の見直しを一方的に決めるなど精力的に事業促進した前市長とは対照的に継続性がなくなり、安心してついていけなくなった。昨年八月、見直し案を現計画に戻してからも誠意がみられず自重も限界に達した。慎重協議の結果、出店辞退のやむなきに至った。」と述べ、その撤退の原因が、青木市長を中心とする被告市に対する不誠実性と消極性と一貫継続性のない行政不信にあることが明らかとされた。

5  被告市の責任

(一)(1) 原告らは、被告市の昭和四六年郡山駅西口再開発計画の調査及び同五〇年一一月、本件再開発事業という長期にわたる継続的施策の決定以来、都市計画法、都市再開発法に基づく絶対的な法的制限規制を受けながらも被告市に協力し、「郡山そごう」をキーテナントとする再開発ビル内に原告らの資産は権利変換され、又営業権が確保されることに被告市と合意に達していた。

さらに、大店法第三条の届出書提出及び同書の受理がなされ、再開発ビルは昭和六一年一〇月一日オープンの期限で、商調協の審議という段階にまで手続は進んでいた。

(2) しかも原告らは、同事業が極めて長期的継続的な施策活動を前提とするため、被告市とともに、同事業の早期実現の為に昭和四六年以来、十数年来計りしれないほどの労力と資金を投入して、本件事業の早期実現に協力し懸命に尽力してきた。即ち、被告市は一方で、原告らを含む地権者や「郡山そごう」に対し具体的勧告、勧誘行為を行なって動機づけ、協力互恵の信頼関係に基づき施策に適合する活動や準備行為をさせてきた。

(二) にも拘らず、青木市長は次のような違法行為をあえて行なった。

(1) 青木市長は、市長に就任した昭和六〇年四月二七日の記者会見で、被告市長という立場で原計画を見直すことを発表した。再開発ビルの主に売場面積が大きすぎることを最大の理由としているが、しかし、青木市長就任当時には、既に本件施策は大店法に基づき三条申請の届出がなされ(昭和五九年一月一四日)、同年一〇月四日にはこれが受理され、更に商調協が同年一二月一四日を第一回として、昭和六〇年一月二二日、二月一八日、二月二二日、三月二七日と計六回も既に開かれて、店舗面積等についての妥当性は商業代表者や消費者や学識経験者らの構成員によって、専門的に検討審議されている状況にあった。

従って被告市が一方で三条申請をして、具体的審議案を商調協に提出して本件施策を進めていながら、他方で本件施策の見直し案を発表すること自体矛盾であり法手続的に違法であったというべきである。しかも売場面積、店舗面積については、専門の調査機関である商調協がなんらの結論も出していないのに一方的に科学的合理的資料もなく、反対勢力の陳情や意見のみを根拠に売場面積は広すぎるなどと発表すること自体極めて合理性がないばかりか、商調協に不当・不要な圧力をかけたという意味で極めて違法な行為であったというべきである。

売場面積の妥当性の審議こそ商調協の法的専権調査事項であり、青木市長にはなんらの権限もない事項であったのである。

(2) 青木市長は違法な見直し案発表後の四日後である昭和六〇年八月二四日、前記見直しのための「検討案」を撤回した。しかし右撤回行為によって、見直し発言以来既に生じている違法状態そのものが無くなるわけでないことは当然であるが、むしろそれよりも原告らを含む地権者や「郡山そごう」が被告市の本件施策の継続性・一貫性に対して有していた信頼関係は一層破壊された。

青木市長は見直し案を撤回して、「原計画で推進する」ことを発表したが、その撤回行為によって原計画そのものに戻ったわけではない(白紙撤回をしていない)。

即ち原計画は青木市長の主張する「五原則」によって修正制限されているのである。

このことは本件施策の原計画を明らかに実質的に変更していることを示すものである。従って、撤回後も原告らを含む地権者や「郡山そごう」の本件施策に対する信頼関係は、ますます破壊されたままの違法状態で継続している。

(3) 青木市長は、昭和六〇年四月二七日記者会見で商調協に対して審議の中止を申し入れた事実を発表している。

これはまさに商調協に対する権力の介入であり、明らかな違法行為であることは論をまたない。

青木市長は、四者協議会で仙台通産局より速やかに商調協を再開するよう強く指導を受けていたにも拘らず、「郡山そごう」に対し青木市長と「郡山そごう」とのトップ会談を不当・不要に要求してこれを商調協審議開始の前提条件にした違法がある。「郡山そごう」との事務折衝レベルでも前記「五原則」を盾に、原計画を変更する意見を「郡山そごう」に要求して「郡山そごう」の信頼関係を一層破壊した違法がある。

(4) 青木市長の主観的意図目的に違法性があった。即ち、第一点は青木市長は市長選に立候補するに際し、「郡山そごう」の出店阻止を唯一の目的として結成された郡山そごう対策協議会と政策協定を結び、「郡山そごう」の出店を阻止する点を了承していた。

しかも青木市長は同じく「郡山そごう」の出店に反対する株式会社うすいデパート(代表者薄井斉)の絶大なる支援を受けて当選したものである。

従って青木市長は本件施策に関するその政治的目的・意見としては、そもそも「郡山そごう」の出店には反対する主観的意図目的を持つ政治家だったのである。

かかる意見の政治家だからこそ、法的に整合性のない一連の強引且つ無謀とも言える見直し案の発表や「五原則」により不当な本件施策の修正・制限・引き延ばしが平然と行なわれ続けられたことが理解できるのである。

昭和六〇年八月二三日ホテルサンルートで行なわれた深夜の会合もまさに「郡山そごう」出店阻止を目的とした会合だったことは明らかである。

第二点は選挙公約としては、青木市長は本件再開発事業を「見直し」とは発表しておらず、投票者をあざむいている違法があることである。

青木市長はさかんに見直しを公約で訴えたと主張するが、青木市長の作成した後援会入会申込書、二枚の法定の公選法ビラ、また支援グループ作成の支援ビラには、一言も「見直し」という政治的立場を表明していない。そればかりかむしろ本件施策の「促進」を外形的に表明している。「促進」を外形的に表明していたという意味では、明らかに投票有権者や市民をあざむいているとさえ評されてもやむを得ない選挙戦術をとっていた。

青木市長の昭和六〇年四月四日の郡山市大槻会場での(新自由クラブ河野洋平を招いての)大演説会や同年四月三日の片平公民館での個人演説でも、本件施策を見直すという演説はしておらず公約していない。

むしろ、青木市長と選挙支援のため政策協定を結んだ市議会議員久野清氏は、市議会の質問で「選挙のときこの問題(駅西口問題の見直し)はどちらかというと蔭においた位置だったはずです。なぜなら、これは余り表に出すと票になりづらいからです。」と述べていることからしても、公約としなかったことは明らかなのである。青木市長は、選挙では本件施策の見直しを訴えずに隠したままで当選し、当選後突然に見直しを発表したものであり、そのやり口は極めて投票有権者や市民をあざむくやり方であったというべきであり、主観的政治的意図は極めて不当なものであったというべきである。

(三) 右の被告市の違法行為と行政の不手際により、前記4のとおり「郡山そごう」は、再開発ビル出店を辞退するに至り、本件再開発事業は再び白紙となり振り出しに戻ってしまった。本件再開発事業施策につき、被告市と原告らとの間には、前記のとおり協力互恵の信頼関係が成立しているのであるから、青木市長は右施策の維持及び早期実現を推進すべき法律上の義務があるのにこれを怠り、「郡山そごう」の出店を辞退させて、原告らの右信頼・期待を裏切った行為は、信義則及び公序良俗に反し、禁反言の法理からも違法性を具備するものである。

よって、被告市は民法七〇九条及び国家賠償法一条一により原告らに与えた後記損害の賠償をなす責任がある。

6  損害

(一) 原告らの法的立場は前記1のとおりであるが、「郡山そごう」が出店を辞退した日までに、以下に述べる具体的法的地位にあった。

(1) 原告らは昭和六一年一〇月までには、再開発ビル内に権利が変換される具体的法的地位を有していた。

(2) 原告らは再開発ビル権利者として、テナントに対し賃料を請求できる法的地位を有していた。

(3) 原告らは再開発ビル内に営業を開始して、営業権を確保できる法的地位を有していた。

(4) 原告らは再開発ビルの完成により、都市計画法、都市再開発法等に基づく絶対的な法的制限規定から解放される法的地位を有していた。

(二) 原告らは、前記5の被告市の不法行為により、右の法的地位の権利侵害を受け、又昭和四六年以降長期かつ継続的な本件再開発事業施策に協力したことにより、計り知れない労務と資本を投入して、莫大な財産的損害と精神的損害を蒙った。

既述のごとく、原告らの被告市から受けた不法行為により蒙った精神的苦痛は、筆舌に尽くし難く、原告らはそれぞれ一人につき少なくとも金一〇〇万円の損害を蒙っており、慰謝料請求権を有している。

なお、慰謝料の補充的性格からすれば、財産的損害として満たされない部分は慰謝料として当然賠償が図られるべきである。

(三)ア 原告助川義光、同助川光知子

[[1]]家賃純利益と保証金運用利益

(一)土地(従前資産)

一〇〇・四七平方メートル(郡山市駅前二丁目八七番)

(二)被告市から示された権利変換価額

〈1〉 土地(共有)に対する評価(昭和五八年一二月一日基準日)

単価(円/平方メートル)金一、〇八九、九二一円

土地価額総額 金一〇九、五〇四、〇〇〇円

〈2〉 建物(助川光知子所有)に対する評価

建物総額 金二、〇〇〇、〇〇〇円

以上〈1〉〈2〉合計 金一一一、五〇四、〇〇〇円

〈3〉 権利変換される再開発ビル床価格

(右同基準日)

坪当り 金九五〇、〇〇〇円

〈4〉 取得床面積

111,504,000(円)÷950,000(円/坪)=117(坪)

〈5〉 ところで原告両名は、従前資産のうち約二分の一(取得床面積の五八坪相当)を再開発区域外に転出して、居住する土地を取得する予定であった。

よって再開発ビル内に取得する権利床面積は、五九坪となる(なお、この五九坪は共同所有とする予定であった)。

〈6〉 被告市と合意した坪当りの月額の家賃は金四、七〇〇円であった。

また同様に合意した坪当りの保証金は金四六〇、〇〇〇円であった。

〈7〉 従って原告両名は以下の収入をあげることができた。

(A)家賃収入と純利益

家賃収入 59(坪)×4,700(円)×12(カ月)=3,327,600(円)

諸経費 59(坪)×31,800(円/年・坪)=1,876,200(円)

年収純利益 3,327,600-1,876,200=1,451,400(円)

(B)保証金運用利益

保証金 59(坪)×460,000(円)=27,140,000(円)

運用利益 27,140,000×0.0413(銀行年利)=1,120,882(円)

よって一年間の総純利益は(A)+(B)=金2,572,282(円)となる。

(三)再開発ビルのオープン日は昭和六一年一〇月一日(なお、右期日は、再開発ビルオープン日を余裕をもって改定変更された日であり、且つ、本件施策が青木市長当選後も一貫継続していれば充分に開店できた期日である。「郡山そごう」にとっても極めて重要な経済的意義のある日であり、単なる期待日や予定日ではない。以下同じ。)であったから昭和六二年九月三〇日には権利変換による総純利益は金二、五七二、二八二円を得ることができたはずであった。

(四)現在の状況からすれば再開発ビルが具体的に竣成しオープンするのは、少なくとも三年先の平成元年一〇月一日以降になることは明らかである。

(五)従って原告両名は平成元年九月三〇日までに金七、七一六、八四六円の純利益を得べかりしところ被告市の違法な変更により、同額の損害を受けた。

内訳 2,572,282×3(年)=7,716,846(円)

[[2]]住宅新築設計図面作成料等の損害

〈1〉 住宅新築設計図面作成料

被告市は、再開発ビルのオープン日を昭和六一年一〇月一日と発表したことから、原告両名は再開発区域外に転出して生活する必要が生じた。

このため原告両名は共同で、訴外空間工房こと半沢一憲氏に対し、住宅新築設計図面の作成を依頼し、同図面を完成させた。

原告両名は右設計図面作成料として金一、〇二〇、〇〇〇円の請求を受けている。

〈2〉 建物取壊による取壊費用

原告両名は、再開発区域外に転出して居住するため、被告市に居住用の代替地を取得して引渡してもらうよう合意していたが、右代替地には建物があったため、被告市は右建物を取り壊して更地でないと受け取らないということであったので、原告両名は昭和五九年一二月初旬ころ、被告市に右代替地を更地にして買い取らせるため訴外有限会社安藤興業(代表者取締役安藤秋義)に右建物の取壊を依頼して、建物全部を取壊撤去した。右費用は被告市が負担する約束であった。

原告両名は右建物の取壊料として金一三五、〇〇〇円の請求を受け昭和五九年一二月一八日に同額を右業者に支払った。

よって損害額は金一三五、〇〇〇円となる。

〈3〉 移転先代替土地測量及び境界確認証明手続費用

原告両名の前記移転先土地は、被告市が買い上げて、原告両名に引渡すことになっていた。同地の境界線及び実測面積を明確にするよう被告市に要求したところ、被告市は原告両名側でとりあえず実施してくれというので、訴外土地家屋調査士菅井篤雄氏に依頼し、昭和五九年一一月一六日被告市所管の市道路敷との境界を査定し、同月一九日隣接地所有者二名立会のうえで測量を実施し、各地点の境界を確認して移転先土地の取得を確保し準備を完了した。右測量及び境界確認費用として金七〇、〇〇〇円の請求を受け、昭和五九年一二月中にこれを全額支払った。

〈4〉 以上〈1〉~〈3〉の合計金は一、二二五、〇〇〇円となる。

原告両名は〈1〉~〈3〉の費用は共同で負担する約束であった。

[[3]]以上[[1]][[2]]の合計は金八、九四一、八四六円であるから原告両名は、それぞれ二分の一にあたる金四、四七〇、九二三円の賠償請求権を有している。

[[4]]原告助川義光の地権者会議等出席による日当相当分の損害

原告助川義光は他の地権者らと共に被告市の本件再開発事業の開始当初から数限りなくあらゆる会議や説明会、調査研究会等に参加し精力的かつ中心的に活動した。仮に原告が当初日当の請求を予定しない労力の提供であっても、被告市に不法行為が成立するに至った場合には、金銭的に評価して請求しうるのは当然である(この理は日当を請求する他の原告らについても同様である)。そのうち今回は、「郡山そごう」をキーテナントとすることに地権者協議会が合意した昭和五八年六月一〇日以降の地権者全体会議に出席した日当相当額の賠償を請求する。その出席回数は三三回に及び、又地権者世話人会及び幹事会に出席した回数が四回で合計三七回に及ぶ。一日の日当は金五、〇〇〇円を相当とするから合計金一八五、〇〇〇円となる。

従って、日当相当額の金一八五、〇〇〇円の損害を蒙った。

[[5]]結論

よって、原告助川義光は、前記[[3]]の金四、四七〇、九二三円と[[4]]の金一八五、〇〇〇円の合計金四、六五五、九二三円に前記の慰謝料金一、〇〇〇、〇〇〇円を加えた金五、六五五、九二三円の、さらに原告助川光知子は金四、四七〇、九二三円に前記の慰謝料金一、〇〇〇、〇〇〇円を加えた金五、四七〇、九二三円のそれぞれ損害賠償請求権を有する。

〈中略〉

7  結論

以上、各原告の請求金額及びこれに対する原告土橋進については昭和六一年八月二一日から、その余の原告については昭和六一年八月二二日から、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

請求原因1の各事実はいずれも認める。

同2(一)乃至(一〇)の各事実はいずれも認める。

同(一一)(1)については、このような事実があったことは認める。しかし金額の提示は、各地権者が採算を考慮し、権利変換を受けるか区域外に転出するかの判断材料としての一応の試算であったこと、土地については借地人や借家人の存否等を考慮しない更地としての評価であること、「郡山そごう」の店舗面積に変動があれば試算額の変更もありうるという極めて不確定要素の多いモデルであって、法的拘束力を有する合意ではない。

(一一)(2)は、このような事実があったことは認めるが、「合意」という意味は右と同趣旨である。

(一一)(3)乃至(6)の事実は認める。

(一二)(1)〈1〉、〈2〉の事実は認める。〈3〉の事実は知らない。

(一二)(2)〈1〉、〈2〉の事実は認める。〈3〉の事実は知らない。

(一二)(3)、(4)の事実はいずれも認める。

(一三)(1)乃至(8)の事実はいずれも認める。(9)の事実は知らない。

(一四)の事実は認める。

同3、(一)冒頭の事実は認める。

(一)(1)の事実のうち、青木市長の発言中前二者については否認し、その余の事実は認める。

(一)(2)、(3)の事実はいずれも認める。

(一)(4)の事実のうち、「しかし」以下の事実は否認し、その余の事実は認める。

(一)(5)の事実のうち、前段の事実は認める。

後段の事実のうち、見直し案の四日後に撤回を表明したことは認めるが、その余は否認する。

(一)(6)の事実は認める。

(一)(7)の事実のうち、冒頭から「詰め寄った」とする点までの事実は認めるが、それ以降の事実は否認する。

(一)(8)の事実は否認する。

(一)(9)の事実は認める。

(二)の事実のうち、青木市長が「見直し」発言をしてその案を提示し、更に「見直し」案を撤回し、現行計画で推進すると言明したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同4

「郡山そごう」から主張の日に出店辞退の通知があった事実は認めるが、その余の事実は知らない。

同5

(一)(1)の事実は認める。但し「合意」の意味は前記のとおりである。

(一)(2)の主張は争う。

(二)の主張はすべて争う。

(三)の主張は争う。

即ち原告らは、民法七〇九条、国家賠償法一条に基づいて請求しているが、

1 民法七〇九条は故意または過失により他人の権利を侵害した者はこれによって生じた損害を賠償すべきものとされ、その要件としては、〈1〉行為者に故意又は過失があること、〈2〉権利侵害乃至違法性があること、〈3〉行為と損害発生との間に相当因果関係が存することを要する。

2 しかし、原告らは、被告市の故意又は過失につき全く主張せず、単に被告市が原計画を見直したことが違法であると主張しているのみである。

3 次に、違法行為の特定も十分なされていない。

即ち、原告らは違法行為として高橋前市長の施策を早期に実現すべき法律上の義務があるのにこれを怠った行為を挙げているが、その内容自体判然としない。

仮りに、青木市長が原計画を見直す旨意思表示し、これに従って、検討案を提示した行為が違法行為とすれば、右検討案は、提示した四日後に撤回されており違法性は治癒されているはずである。

次に、検討案撤回後、仲々商調協の審議が進展せず、従って事業の進展がなかったことが違法行為としても、商調協独自の判断で審議を再開しなかったのでこれに対する被告市の責任はない。

4 また、行為と損害発生との間の相当因果関係であるが、原告らが「郡山そごう」の撤退により損害が発生したと主張する以上、まず、被告市の行為と「郡山そごう」の撤退の間に相当因果関係の存することを要するところ、後記のとおり「郡山そごう」の徹退は、同社の独自の判断による行為であって、被告市の行為との間に相当因果関係は認められず、結局、原告らの損害と被告市の行為との間にも相当因果関係は認められない。

5 更に、国家賠償法一条に基づき損害賠償を請求するためには、公権力の行使にあたる公務員がその職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を加えることを要するところ、誰がどのような職務に関し、どのような公権力を行使したのかの特定が全くなされていない。

同6

(一) 原告らの具体的法的地位を争う。

(二) 主張並びに損害を争う。

(三) すべて知らない。

1 得べかりし利益について

原告らは家賃純利益及び保証金運用利益関係の損害額算定の基礎として、被告市が原告らに提示したとされる月額家賃額及び保証金額を基礎としているが、これらの金額は被告市が原告らの本件再開発事業についての都市再開発法に基づく事業計画及び権利変換計画を検討するための一応の試算として提示したモデルに過ぎないものであって、なんら法的拘束力を有するものではないことは既述のとおりであり、従って、これに基づく具体的請求権を有するものではない。更に右モデルにおいては、原告らの所有する土地については、更地として計算し、借地借家関係等については全く考慮にいれていないのである。

2 慰謝料について

原告らの主張する慰謝料は被告市の不法行為により原告らの財産権が侵害されたことに対する精神的慰謝料である。

従って、原告らが、被告市から財産的な賠償を受ければ、右精神的苦痛も当然に治癒されるのであり、このような財産権の侵害による慰謝料の請求は、賠償として取得した金銭によりなお償われない精神的苦痛が残ったときにのみ請求できるものと解すべきである。

本件においては、原告らは、損害として〈1〉家賃純利益と保証金運用利益(得べかりし利益)〈2〉住宅新築設計図面作成料〈3〉会議出席の日当等被告市の不法行為により受けたと考えられる全ての損害の賠償を請求しており、右賠償がなされれば財産権侵害による損害賠償としては十分であり、右損害に加えて慰謝料を認容すべき特別な事情は存在しない。

3 住宅新築設計図面作成料について

本件再開発事業は不能となったわけではなく、単に、「郡山そごう」を再開発ビルのキーテナントとすることが不能になったに過ぎないものであり、従って、原告らの行った住宅新築設計図面も、右事業の再開と共に、当然利用することも可能となり、右図面作成に費用を要したとしてもこれが損害とはなり得ないものである。

4 日当について

原告らの請求する会議に関する日当については、被告市、「郡山そごう」との相談のための会議の外にも原告らが任意に持った会議も含まれており、その時点では、全く日当を請求する意思を有していなかった以上、損害とはなり得ないものである。

三  被告の主張

1  原計画進行中の原告らの地位

(一) 本件再開発事業は、都市計画法に基づいて福島県知事及び被告市が定めた都市計画(都市計画法一五条以下)を基盤とし、都市再開発法に基づいて被告市が事業計画を作成し(同法五一条以下)、更に同法に基づき被告市が権利変換計画を定める(同法七二条以下)という段階を経て進められるものであるところ、現在では都市計画決定まで完了し、右事業計画へ向けての検討の段階であって、計画自体確定していないものであるから、法律的には、原告らは本件事業が実現した場合の権利義務関係について、具体的権利性を伴う地位を有するものではない。

(二) そもそも、本件再開発事業は、狭小な土地を再開発して道路や広場といった公共用地を生み出すこと及び事業区域内の権利者の従前の営業をできる限り継続させてその生活を保障するという点で、通常の市街地開発事業で採用されているいわゆる用地買収方式ではこれに対応できないために、事業区域内の権利者の土地や建物等の資産相当額を、新たにできるいわゆる再開発ビルの権利床に変換する権利変換方式を採用したものである。

事業の推進段階では、再開発ビルに入居するキーテナントの選考、そして当該テナントの出店内定後においては出店条件の協議、権利者の権利交換条件の策定、そしてキーテナントが大店法の規制を受けるものである場合は、その第三条及び五条所定の届出手続及びこれと付随して当該キーテナントの小売業の事業活動が周辺の中小小売業者に著しい影響を及ぼすおそれがあると認められる場合は商工会議所会頭の諮問機関である商調協の審議を受けるといった手続が必要となってくる。そして、これらの手続等は、いずれもキーテナントの内定及びそれとある程度具体的な出店条件の協議が調わなければ、大店法第五条の届出をすることもできないし、権利床価額も算出できない、一方商調協の審議を通過しなければ、出店条件を確定することができないといった相互依存的な関係にあって、全部を一度に決定することはできないので、事業そのものがそれぞれの部門ごとに少しずつ案を詰めてゆくという形で同時並行ないし前倒し的に進行せぎるを得ない面を有している。

またその一方で、右の相互依存関係に立つそれぞれの部門の予定のうち、どれかが変更されれば、他の部門の予定もそれに従って変更されざるを得ないという不確定性を有している。たとえば入居するキーテナントそのものが変わるとか、あるいはキーテナントの出店面積や出店時期が変わるなどの変化があれば、これはただちに権利床価額の変動につながるなど他の部門にも影響し、事業の進め方全体が変化せざるを得なくなるものである。従って、それぞれの部門の正式決定があるまでは常に事業全体が不確定性を内包しているものである。

右のように事業全体が不確定性を内包しつつ推進されて行くものであることは、「そごう本社」の出店受諾が、「今後出店に関する諸条件があい整い、大店法に基づき諸手続を経て……予定の店舗規模(店舗面積)」が確保されたらという停止条件付きのものであったことに端的に表れている。

(三) 原告らは、特に、いわゆる権利変換モデルが提示されたことをもって、被告市に対する具体的法的地位を取得した旨主張する。

しかし、権利変換モデルは、被告市において再開発ビルに入居して営業する権利者数及びこれに必要な店舗面積などを予め把握するために、各権利者にその権利が変換された場合の採算性を検討し、それによって再開発ビルへ入居するか、転出するかの判断をしてもらうための参考資料として、その時点での試算を提供したものであるに過ぎない。

すなわち、権利変換モデルにおいて示された案も、いわば事業推進上の他の条件を詰めるための一つの前提としての案に過ぎないものであり、やはり都市再開発法七二条以下の規定による権利変換計画の確定に至るまで他の条件の変化に依存しているものである。

従って、権利変換モデルの提示は、原告らに対して何ら具体的な権利を付与するものではないといわなければならない。

2  本件再開発事業の継続と事業遅延による損害

(一) 「郡山そごう」が出店を辞退し、同社が再開発ビルのキーテナントとして入居しなくなったことは、本件再開発事業全体の中ではビル利用計画の変更を意味するに止まり、本件再開発事業全体の変更ないし断絶を意味するものではない。現に被告市は、昭和六一年七月一四日から再開発ビルの利用計画を定めるために「郡山駅前再開発ビル計画提案競技」を実施中である。従って、原告らの権利についていずれ権利変換等がなされることは従前どおりであり、ビルの利用計画が変更されたことが、原告らの損害に直結するものではない。

(二) 仮に事業完成時期が当初の予定よりも遅れ、その間の得べかりし利益の喪失があるとしても、ある程度の事業の遅延は、本件のような長期にわたる大規模な事業の性格上やむを得ないいわば事業全体に内包されたものである。

また、一方で本件のような駅前再開発事業の場合には、事業の遅延は通常、また特に本件においても地価の上昇を伴うものであって、地権者に不利益のみを与えるものではないし、地権者がその間従前どおり土地等を利用し得ることももとより当然である。

かような点に鑑みると、本件のような再開発事業では、事業の遅延による得べかりし利益の喪失をもって損害とみることは、法の予定しないところであるというべきである。

3  原計画を再検討したことの正当性

以上により原告らが損害賠償を請求し得る法的地位を有しないことは明らかであるが、仮に原告らが何らかの法的保護に値する権利を有していたとしても、被告市が本件事業について再検討したことは次のとおり正当なものである。

(一) そもそも、地方公共団体が一定の継続的施策を決定した場合には、特に必要のない限りこれを継続して推進するべきであるが、その後の社会経済情勢の変化、それにともなう住民意思の変化が生じた場合には、当該施策を右の変化に対応させて、その時点及び将来の当該地方公共団体及び住民の利益に沿うように変更するべき場合があることはもとより当然である。

(二) 本件においては、昭和五八年六月に、高橋前市長のもとで「郡山そごう」をキーテナントとすることに内定した際から、主として既存商業者と共存できるかという点を争点として、市内の商業界初め各界に賛否両論があった。

そして、それから約二年経過した昭和六〇年四月の市長選挙当時は、社会経済情勢、特に景気の面では郡山市の小売販売額の伸びが鈍化傾向にあるなどの変化があったので、大規模百貨店である「そごう本社」を原計画どおり誘致することは、既存商業者との共存の可否という点で従来よりもさらに深刻な問題となっていた。

同時にそのときの市長選挙において、現市長が本件事業の見直しを公約に掲げて当選したという事実から、社会経済情勢の変化に伴った住民意思の変化も看取することができた。

そこで、被告市としては右のような状況を踏まえ、原時点で原計画が最良のものであるか再検討する必要があると判断し、その結果右のような社会経済情勢の変化に対応するものとしていわゆる「見直し案」を提示したものであって、原計画に再検討を加えたことは、もとより当然であり、地方公共団体の職責に副うものである。

(三) また、「見直し案」の内容面においても、事業計画の全てを白紙にする検討案を提示したわけではなく、従来の計画内容である駅前広場を拡張したり、道路を新設するなどの公共施設の整備拡充部分はそのままにして、公共施設の整備と地権者の生活再建確保という至上命題の遂行のために、当時の社会経済情勢に対応するべく従前のビル利用形態すなわち用途、規模などについて再検討するという必要最小限の変更だったものであり、行政裁量権の範囲内の適法なものであった。

(四) さらに、原計画、「見直し案」のいずれを推進するにせよ、将来的に実行が困難な案に固執し、徒らに事業の進行を遅らせることは厳に慎まなければならないところであるが、本件においては、昭和六〇年四月二七日現市長就任後、市長が原計画に再検討を加える必要がある旨表明してから事業の進行は一時停滞することとなったが、それによって生じた事業進行の空白期間は、同年八月二四日の「見直し案」の撤回までの約三カ月であり、権利者の意向確認や関係各界の意見を調査しながら計画変更の妥当性を検討するための期間としては最小限のものであった。

なお、「見直し案」については将来的に地権者の同意を得られる見込みがなく、同案に固執することはかえって事業の進行を徒らに遅滞させるだけの結果となる可能性が高いとの結論に達したので、右のような情勢を踏まえた上で最善の策を検討したところ、原計画を郡山市市民の利益となる形、即ち青木市長の本件事業推進にあたっての方針(「五原則」、〈1〉郡山市の未来像に合致すること。〈2〉全市民の利便に役立つこと。〈3〉行政改革の時代的要請に応じて、民間活力を導入して財政負担の軽減を図ること。〈4〉既存商業者と共存共栄が図られること。〈5〉地権者の現在及び将来にわたる利益が具体的に守られること)に適合する形で推進するのが最善であるとの結論に達し、長年にわたる地権者の所有財産の移動制限等も考慮し、事業の早期完成を図るべく、遅滞なく撤回したものであり、妥当なものであった。

(五) 以上、いずれの点からも被告市が原計画に再検討を加えたこと及びその後の対応は適正且つ妥当なものであった。

4  「郡山そごう」出店辞退の原因

(一) 「郡山そごう」が出店を辞退した原因は、次の諸事実に徴すると、「見直し案」の提示といった被告市側の事情にあるのではなく、「そごう本社」の社内事情によるものであるといわざるを得ない。

(1) 前述したとおり、原計画の再検討自体は、被告市の地方公共団体としての当然の責務であり、「郡山そごう」としてもこのこと自体は予想し、容認するべきことであること。

(2) 昭和六〇年四月二七日の現市長就任後同年八月の「見直し案」の提示及びその撤回に至るまでの間は、被告市が原計画を変更するかどうか不確定となったが、「見直し案」撤回後は、被告市は直ちに本件再開発事業は従前どおり原計画で進めることを言明し、その後の進行について「郡山そごう」に不安を抱かせる事情はなくなった。

(3) 現に昭和六〇年八月二四日の「見直し案」撤回後は、同月二六日に「郡山そごう」の事務所において、「そごう本社」の現地責任者に対し、事業は従来どおり「郡山そごう」をキーテナントとする方針で進める旨及び青木市長と「そごう本社」首脳とのいわゆるトップ会談の申し入れを行ない、次いで九月一八日には事業は原計画で進める旨の確認と協力要請を、一〇月二日には前回行った協力要請の趣旨を記載した青木市長名の文書を現地責任者に手渡して協力を要請した。

さらに、一○月五日には「郡山そごう」の担当者と出店条件の協議及び確認を行ない、一〇月八日には市役所において現地責任者とトップ会談の実施促進方申し入れ及び原計画を推進することの再度の確認を行なった。

一〇月一四日には、同じく市役所において、トップ会談の実施促進方の再度の要請と事業推進にあたっての被告市の基本方針の説明をした。

一一月二一日には、トップ会談の実施促進方について重ねて申し入れすると共に開店時期及び保留床価額についての協議を行った。一二月三日には「郡山そごう」事務所において、開店時期及び保留床価額について再度の協議をし、ようやく一二月二四日の「郡山そごう」での協議において細部の確認まで至り、開店時期については昭和六三年後半とすることで合意に達した。また駅西口再開発促進特別委員は、昭和六一年一月二九日横浜そごうに水島社長を訪ねる予定でいた。

(4) また、事業の早期完成を図るためには、大店法に基づく商調協の審議を再開して進行させることが必要であった。そして、同法に基づく審議は、「郡山そごう」の店舗面積等の出店条件が適正か否かを検討することが主目的であるため、審議をより円滑に進めるためには、「郡山そごう」との間で出店条件を詰めて、具体的な出店条件を確認したうえで審議してもらう必要があったが、右のように被告市と「郡山そごう」の間で出店条件について具体的な合意に達したことで、商調協の審議再開も確定的なものとなっていた。

(5) このように、「見直し案」の撤回後は、出店意思の確認はもとより、順次保留床価額や開店の時期といった具体的な事項について協議を進め、商調協の審議再開も確定的となり、事業の早期完成に向けて着実に進行して行ったのであり、「郡山そごう」に対して事業の推進について不安を抱かせる事情は全くなくなっていた。この時点で、事業を原計画どおり進めることは、被告市としても「郡山そごう」としても当然の大前提だったものであり、「郡山そごう」の出店辞退は全く予想外のことであった。

(6) そこで、右の状況を踏まえて「郡山そごう」出店辞退の原因を検討すると、当時の商調協の状況から、届出した店舗面積三一、〇〇〇平方メートルがそのまま承認される可能性は全く無く、一万数千平方メートルに削減されることが予想されたこと以外には考えられない。

右の削減理由については、〈1〉郡山市内における過去の三店(西友、丸井、ダイエー)出店時の商調協の店舗面積削減の前例〈2〉通産省の大型店出店抑制の政策〈3〉商工会議所が選出した委員三名が再開発ビル入居者選考委員会に対し、大規模小売店舗をキーテナントにすることに反対する報告書を提出していることからも明らかなとおり商調協において商業者委員が右届出店舗面積に反対することが確実に予想されたこと〈4〉届出者代表者である青木市長が店舗面積三一、〇〇〇平方メートルにつき反対の意思を表示していること〈5〉大店法三条一項の届出の受理に約一〇ヶ月もの長期間を要し、且つ商調協についても昭和六〇年四月以降実質的な審議を停止していること〈6〉全国的にも商調協において届出店舗面積の削減や凍結が多数行われていることなどの要素が複合しているものと思われ、青木市長の見直しの意思表示がその唯一且つ直接的な原因となっているわけではない。

以上のとおり、被告市にとって「郡山そごう」の撤退は商調協において届出店舗面積の相当の削減が確実に予想され、承認されると思われる店舗面積では都市型百貨店としての営業が成り立たないという同社の独自の判断に基づく全く予想外の事態であり、被告市の見直し行為と「郡山そごう」の撤退との間に相当因果関係は認められず、従って、「郡山そごう」の撤退による原告らの損害につき被告がこれを賠償すべき責任はない。

(二) 仮りに、「郡山そごう」の出店辞退が、被告市の「見直し案」の提示になにがしか影響されたものであったとしても、前述したとおり、被告市が行なった原計画の再検討は正当且つ地方公共団体としての被告市の職責に副う妥当な行為であったから、これによって原告らが何らかの損害を蒙ったとしても、被告市が責任を負うべき理由は存しない。

第三  証拠〈省略〉

理由

第一  原告らの地位

原告助川義光・同助川光知子・同内山町子・同株式会社丸忠佐藤材木店・同佐藤貞・同佐藤勝久・同佐藤保夫・同株式会社丸蒲青果総合食品市場は、本件再開発事業区域内に土地又は建物を所有し、

原告内山博は、右区域内で郷土銘菓、民芸品を販売する会社を経営し、同助川義光は、右区域内で洋服店を経営し、

原告遠藤俊一は同株式会社丸忠佐藤材木店の代表取締役の立場から同会社を代表して、原告土橋進は同株式会社丸蒲青果総合食品市場の取締役の立場から同社を代理して、同助川義光は地権者としてまたその母同助川光知子を代理して、同内山博は前記営業権者としてまたその妻同内山町子の代理人として、常に地権者会議に出席して説明会、勉強会、研究会、陳情活動等被告市との各種交渉その他あらゆる活動に積極的に参加協力してきたものであることは、当事者間に争いがない。

第二  本件再開発事業の主たる経緯

1  被告市は、昭和四六年四月頃から、郡山駅西口の総合整備開発について郡山商工会議所地域開発委員会と懇談を始め、同四八年七月都市計画課に都市開発係を新設して再開発事業基本調査を実施し、同四九年七月原告らを含む地権者らと懇談会を開いた。

2  被告市の計画に基づき福島県知事は、同五〇年三月に「駅前広場、道路等の都市計画案」の縦覧を実施、同年七月二五日右計画は決定され、同年八月被告市は原告ら地権者らに右決定内容の説明を行なった。

3  被告市の計画に基づき福島県知事は昭和五〇年九月三〇日から翌一〇月一三日までの間、「市街地再開発事業区域の都市計画案」を縦覧に供し、同年一一月二一日右計画は決定され、右事業区域面積は約三ヘクタールとされ、また同日、「用途地域」の変更も決定された。右決定により原告らを含む地権者らは、その所有する土地、建物の建築や譲渡に関し、都市計画法及び都市再開発法に基づく絶対的な各種の法的制限規制を受けるに至った。

4  被告市は、昭和五〇年一〇月一九日右都市計画の決定に合わせ、「都市計画道路」の変更決定、「都市計画高度利用地区」の決定を行なった。

5  被告市はその後、郡山市議会、駅前大通り商店街振興組合、商工会議所、青年会議所、ライオンズクラブ、ロータリークラブ、各権利者団体らに対し、度々事業概要の説明を行なってきたが、地権者らは昭和五四年三月六日、駅前再開発地権者協議会を発足させ、訴外亡佐藤義郎を代表者とする原告らを含む地権者一五名で結成された。

6  郡山市議会は、昭和五四年六月駅周辺総合開発特別委員会を発足させた。

7  被告市は、昭和五四年九月一四日、郡山駅西口に郡山駅前事務所を設置し、同年一一月一三日には仙台通産局に事業概要の説明をし、同月二一日には高橋前市長が商工会議所正副会頭に事業計画を提示した。

8  地権者協議会は、藤沢市、柏市、大東市、枚方市、神戸市、東京都、横浜市、大和市等の先進地視察の成果をふまえながら、昭和五五年七月二八日被告市と協議し、次のことを確認し合意した。

(1) 被告市は、本件再開発事業に対する具体的方針を提示し、事業説明資料と併せ採算性の検討を進めること、本件再開発事業の行程期限は昭和五七年一二月完了を目途に検討を行う。

(2) 被告市は、説明資料と採算性を検討すべき事項の提示をし、又地権者側は、地権者協議会の全体会との検討の他に地権者個人別に各論につき提示すること。

(3) 地権者側は、テナントを内定して条件の煮つめを行わなければ事業に対する賛否は出せないため、テナント選考とその方法について提案する。

これに基づき地権者協議会はテナント選考委員五名を選出した。

9  郡山商工会議所は、昭和五五年一〇月一一日駅周辺開発特別委員会を発足させた。

10  (1) 昭和五六年三月一九日、再開発ビル入居者(テナント)選考委員会が発足し、同会は同年七月二二日までに六回の委員会を開き、同月二九日被告市に対し、再開発ビル入居者に関する基本方針を答申した。

(2) 被告市は、同年八月一日以降その広報誌「広報こおりやま」に事業内容を掲載し、市内全世帯に配付した。

11  1(1) 昭和五八年六月五日、被告市と地権者協議会とは、権利変換方式に伴う再開発ビル内の床の賃貸条件について話合い、席上被告市側は各地権者毎の家賃純利益と保証金運用利益について金額を提示し、地権者らはこれを了承し合意が成立した(なお、合意の法的意味については後述する)。

(2) 同月一〇日地権者協議会は、被告市が誘致した「そごう本社」をキーテナントとすることを了承した。その後被告市は、本件再開発事業の概要書を作成し、権利者の資産を再開発ビルの床に変換すること、再開発ビルのオープンは昭和六〇年九月一日とすること等を明らかにした。

(3) 高橋前市長は、同月一一日「そごう本社」をキーテナントとして入居させることを市議会に報告した。

(4) 「そごう本社」は被告市職員と共に、市議会正副議長、商工会議所正副会頭、各商店会長、その他関係団体、福島県、報道機関に対し出店のあいさつ廻りをした。

(5) 同年七月二七日「郡山そごう」が設立され、具体的開店準備段階に入った。

(6) 同年九月、市議会九月定例会において、「駅西口市街地再開発事業促進」の議案が提出され、早期実現が決議された。

2 原告助川義光、同助川光知子、同内山町子、同株式会社丸忠佐藤材木店、同佐藤保夫は本件再開発区域外に一部転出するため、請求原因2、(三)記載のとおり被告市に対し、代替用地の取得を依頼し、その希望土地につき被告市名義で所有権移転登記手続を経由し、さらに同佐藤保夫は同人名義に所有権移転登記手続を経由した。

12  1 被告市は、昭和五八年六月から八月にかけて、大店法三条の届出をなすに際し、市商店街連合会、商工会議所、商工連絡協議会、地権者協議会、各種団体等と事前説明会を開いた。

2 福島県知事から、同五九年一月一〇日付で、被告市に対し「仙台通産局長に対し出店予定地が『第一種大規模小売店舗の出店が相当水準に達していると認められる市町村』に該当し、通常の手続によって処理するよう回答を得た。」旨の通知がなされた。

3 同年一月一四日、被告市は、県知事に対し大店法三条の届出書を提出した。

4 福島県知事は同年二月二四日、被告市の計画に基づき、「建築物の規模及び用途、路上立体横断施設の設置」について告示した。

5 地権者協議会は、同年二月八日、仙台通産局、県商工労働部に対し、「大店法に基づく審議の早期実施について」陳情し、同月二〇日、五月三〇日、六月二二日、八月七日、九月一四日と全体会議を開き、又八月一一日には被告市に対し、「事業の明確な見通し等を文書で回答してほしい」旨の要望書を提出し、八月一三日には仙台通産局、県(商工課)に対しても要望書を提出した。

6 福島県知事は同年一〇月四日、大店法第三条届出を受理し、同月六日被告市に対しその旨通知した。その後被告市は、再開発ビルのオープン日を昭和六一年一〇月一日とすることに変更した。

7 商工会議所会頭は同五九年一一月二九日、商調協に対し、「郡山そごう」出店についての審議を要請した。

8 「郡山そごう」は、昭和六〇年三月二二日、商調協の席上において出店計画概要について説明した。

13 本件再開発事業には、昭和六〇年三月末日までにおよそ国、県からの補助金として計約金一三億八千万円、被告市から約金一〇億円が投入されており、また昭和六〇年度、新年度分として国及び県の補助金は、約金一一億六、七〇〇万円余である。被告市の予算化予定額は約金六億七、〇〇〇万円であった。

14 昭和六〇年四月二七日被告市の新首長に青木市長が就任するや、前市長高橋堯のもとで進められてきた本件再開発事業の柱ともなる「再開発ビルを建て、そごう百貨店をキーテナントとして誘致し、地権者らの権利は権利変換方式によって確保する」施策(以下「原計画」ともいう)を突然「見直す」ことを表明し、計画の変更につき次のような言動がなされた。

(1) 報道機関等に対し「再開発事業そのものは基本的には変わらないが、整備する方法は再考したい。再開発ビルに入る「郡山そごう」問題は商調協で審議中なので、進展を見守りながら賛否両論を聞き、私の意見を述べて市民のコンセンサスを得たい。」旨発言した。

(2) 同年五月一七日の地権者協議会との懇談会において「開発地域(約三ヘクタール)の半分程度を緑豊かな小公園として、残りにショッピング街、合同庁舎(第二県庁)や第三セクターによる都市型ホテルなどが入れる一六階建ほどのコンベンションシティー型ビルを建てればよい。」旨発言した。

(3) 同月二一日の商工会議所正副会頭との懇談会においても、右(2)と同旨を述べ、さらに「六月定例議会には間に合わないが、地権者の利益を第一に考え、皆さんの協力で九月議会までには考え方を具体化させたい。」旨述べ、原計画の変更を事実上認める発言をした。

(4) 同六〇年八月二〇日、見直し案の概要をまとめ、地権者と市議会に提示した。その特徴は、大型商業ビルの原計画に対し、ホテルや貸事務所などの業務面積を加えた複合ビルとし、管理方式は第三セクター方式とすること、又ビルの面積は原計画が地下二階地上九階なのに対して、地上二一階とすること、駐車場は原計画の約四倍の一万平方メートルとする、ことである。

(5) ところが、同年八月二四日地権者協議会で「提案したホテルや貸事務所など業務面積を加えた複合ビル(二一階建て)の見直し案を撤回し、原計画を推進する。」と発表した。

(6) 同年九月二五日仙台通産局において、仙台通産局、福島県、被告市、郡山商工会議所は四者協議会を開き、商調協が同年三月以降中断している点を協議し、被告市が「郡山そごう」に対し、出店の意思を確認した上で審議を早期に再開させることを確認した。

(7) 同年一〇月三〇日開かれた地権者協議会と青木市長との懇談会において地権者側は「原計画で推進することを決定した以上、早急に商調協再開を要請すべき」ことを強く要求したのに対し、青木市長は「市民とそごうとのトップ会談は、商調協再開の条件ではないが、商調協の混乱を招かないためにもそごうと煮つめる必要がある。」と答弁し、又更に商調協の再開に時間がかかる趣旨の発言をした。

(8) 同年一一月二五日、被告市は郡山市議会の駅西口再開発事業促進特別委員会で「駅前再開発ビルの完成見通しは、当初計画より三年ほど遅れ、同六三年一〇月頃になる」こと、「商調協は同六一年一月をめどに再開することに県と仙台通産局とに指導をあおぐことにする。」などと説明し、さらに再開発ビル完成の見通しが遅れることを発表した。

15 昭和六一年一月七日、本件再開発ビルの核店舗として出店する予定になっていた「郡山そごう」は、出店計画を断念し、出店を辞退する旨を被告市らに通知し、同通知は被告市に同日郵送された。

以上の事実は、当事者間に争いがない。

第三  当裁判所の判断

一1  地方公共団体のような行政主体が将来にわたって継続すべき一定内容の施策を決定した場合でも、右施策が社会情勢の変動等にともなって変更されることがあることはもとより当然であって、地方公共団体は原則として右決定に拘束されるものではない。

しかし、地方公共団体が、単に一定内容の継続的な施策を定めるにとどまらず、特定の者に対して右施策に適合する特定内容の活動をすることを促す個別的、具体的な勧告ないし勧誘を行い、かつ、その活動が相当長期にわたる当該施策の継続を前提としてはじめてこれに投入する資金又は労力に相応する効果を生じうる性質のものである場合には、右特定の者は、右施策が右活動の基盤として維持されるものと信頼し、これを前提として右の活動又はその準備活動に入ることが予測されるのであるから、たとえ右勧告ないし勧誘に基づいてその者と当該地方公共団体との間に右施策の維持を内容とする契約が締結されたものとは認められない場合であっても、その施策の変更にあたってはかかる信頼に対し法的保護が与えられなければならない。すなわち、右施策が変更されることにより、前記勧告等に動機づけられて前記のような活動に入った者が、その信頼に反して所期の活動を妨げられ、社会観念上看過することのできない程度の積極的損害を蒙る場合に、右の損害を補償するなどの代償的措置を講ずることなく施策を変更することは、それがやむをえない客観的事情によるものでない限り、当事者間に形成された信頼関係を不当に破壊するものとして違法性を帯び、地方公共団体の不法行為責任を生ぜしめるものというべきである。

地方公共団体の施策を住民の意思に基づいて行うべきものとするいわゆる住民自治の原則は、地方公共団体の組織及び運営に関する基本原則であるが、右原則も、地方公共団体が住民の意思に基づいて行動する限りその行動になんらの法的責任も伴わないということを意味するものではないから、施策決定の基盤をなす政治情勢の変化をもって直ちに前記のやむをえない客観的事情にあたるものとし、相手方の前記のような信頼を保護しないことは許されない。

2  右は、地方公共団体の誘致企業(本件に即していえば「郡山そごう」に相当する)に対する責任を論じた最高裁判所の判決(昭和五六年一月二七日第三小法廷判決-集三五巻一号三五頁)要旨であるが、この理は、本件原告らのごとく、勧誘に動機づけられたものではないが、一定の区域に居住し、或はそこに経営の基盤を有していたが為に、好むと好まざるとに拘らず行政主体の高度の公益目的の施策の対象とされた者の場合にも推し及ばされるべきである。すなわち、施策に応じる者は、「個別的、具体的な勧告ないし勧誘」を受けた者と実質的に同等に扱ってよく、施策に応じたくない者は、施策区域外に転出することによりこれを拒否するという方法があるにせよ、公的目的とはいえ長年住み慣れた地を離れるにつき、転出先の居住環境、営業の不安、転出費用、転出時期等につき行政主体にかける信頼に大なるものがあり、その間になんら差異がない、といえるからである。

もとより原告らにおいて、本件再開発事業完成の暁には、営業面或は居住面において諸々の諸利益を得ることも予期されるところではあるが、これは再開発事業の反射的利益ともいうべきものであり、これあるが為に施策の変更に伴う不利益を甘受しなければならないものではない。

二  本件再開発事業の経緯は、右のとおり大略争いのないところであるが、さらに証拠を加え右判例の趣旨に則して検討する。

右当事者間に争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると以下の事実を認めることができる。

1  本件再開発事業計画は、昭和四六年ころ、被告市が主体となって商工会議所と懇談を始め、各種基本調査を終え、同五〇年都市計画決定がなされ、以来その手続が進行してきたものであるが、その基本方針は〈1〉郡山駅前地区を交通拠点として十分機能しうるよう、駅前広場等公共施設の整備を行い、本市表玄関にふさわしい地区とする。〈3〉権利者の経営基盤の充実をはかる。〈3〉都市的魅力を備えた商業、サービス機能を集積し、時代に対応した商業街区を形成する、というものであり、これに投入された予算・補助金の額は昭和六〇年三月末日まででも既に約二三億八〇〇〇万円という巨額なものであった。郡山商工会議所も当初から右計画に意欲的であり、郡山市議会も本件事業の促進決議を行なう等官民あげてのまさに郡山百年の計をたてるともいえる事業計画であると評し得る。

2  本件再開発事業は、郡山駅前地区を拠点とした再開発であるため、事柄の性質上同区域内に居住し或は営業の基盤を有する原告らの協力抜きでは不可能な施策であった。このため被告市は、昭和四九年ころから原告ら地権者と接触を始め、数多くの説明会、懇談会を開き、理解を深めるよう努力し、原告らも公益のためとはいえ、結局は自己の生活基盤の問題がかかっているだけに被告市要請の説明会に出席することはもとより、独自の勉強会、地権者会議、陳情活動、先進各地の視察をするなどして基本的には被告市の施策に協力の姿勢を示してきた。その結果施策の遂行につき被告市と原告らとの間には、自ずと協力互恵の関係が芽生え、これが進展し、被告市において原告助川義光、助川光知子、内山町子、株式会社丸忠佐藤材木店、佐藤保夫ら本件再開発区域外に一部転出を希望する者らのために手続的に早々と代替土地をあっせん、確保したこと等は、その端的な現れであり、原告助川義光、助川光知子、内山町子らは、右代替土地上に新築する住宅の設計図を業者に依頼して完成させ、代替地上の建物を取壊し、代替土地の測量、境界確認手続を済ませるなどの転出準備活動を終え、被告市の施策に協力する態度を示し、その結果請求原因6、(三)、ア、イの各〔[2]〕記載のとおりの金員の支払いあるいは債務負担行為をなすに至ったのである。

さらに本件再開発事業の柱の一つである「権利者の経営基盤の充実をはかる」趣旨から、地権者らのうち再開発ビル内の店舗床に権利変換をなし、それをキーテナントに貸与することを希望する者の賃料、保証金の額、権利変換を希望しない者の土地・建物等の補償金、転出費用の額如何が施策遂行上重要な問題であった。この点に関し、被告市側から地権者らに対し、権利変換を選択するか転出を選択するかその概括的意向を知る必要があり、その「判断材料」として、諸条件が変化することによって内容も自ずと変わる旨の留保付きで、原告ら各人に一定の「権利変換モデル」が示された。これによると、権利変換を希望する場合、更地としての評価ではあるが、昭和五七年四月当時のもので賃料は坪当り月額四〇〇〇円、保証金は坪当り四〇万円と提示されたが、その後前者につき四七〇〇円、後者につき四六万円と改定され、区域外に転出する場合は、土地、建物の補償、転出に伴う通常受ける損失に対する補償をなす、というものであった。同五八年六月五日被告市から右モデルを示された原告らはこの金額を了承し、右内容で施策を遂行する旨の一応の合意が成立した。

3  本件再開発事業は、権利者の採算性及び地元業界との協調性を基本としているため、再開発ビルのキーテナントをどこにするかが、これまた重要な問題であった。昭和五六年三月委員一一名による「再開発ビル入居者選考委員会」が開催され、半年間にわたる審議の結果、都市型百貨店の上位にランキングされる「そごう本社」をキーテナントとすることに内定し、同年一一月ころから被告市は「そごう本社」と接触し始め、出店を勧誘し、同五八年ころ「そごう本社」は出店を了承し、同年六月一〇日地権者全体会において、翌一一日郡山市議会においていずれも報告、了承された。その間「そごう本社」は郡山駅前に事務所を設け、駐在員をおき、被告市など関係機関との折衝、市場調査等の開店準備を行い、被告市からの地域に密着した企業体であって欲しいとの要請をも考慮し、同年七月現地法人である「郡山そごう」を設立した。そして再開発ビルの店舗面積を三万一、〇〇〇平方メートル、開店日を昭和六〇年九月一日とすることに被告市と合意した。また前記被告市と地権者ら間の合意内容も伝えらえ、これを了承した。そして開店日に合わせ地元で従業員を採用し、系列店に派遣して社員教育を委託する等本格的な開店準備に入っていた。

このような経過で、被告市が多額の資金を投じ継続的かつ長期的に本件再開発事業を遂行するためには多くの関係者の協力を必要とするものであるところ、とりわけ地権者、そごうの協力が必須であったといわねばならず、地権者・そごうからみれば被告市が計画どおり施策を遂行してくれるものと信頼してそれぞれの準備活動をなすに至り、地権者・そごう間においては、収益性の観点から信頼関係が成立するに至り、結局被告市・地権者・そごう三者間にはそれぞれの利害、思惑は異なるにせよ、本件再開発事業の完成という共通の目標に向け三位一体となった相互の信頼に基づく互恵の関係が成立するに至っていた。これだけの点を把えれば、昭和五八年六月当時においては残された継続中の商調協での審議を通過すれば、原計画を大幅に修正することなく事業が遂行できるものとの法的保護に値するまでの高度の期待感、信頼感が地権者、そごう、被告市相互間に発生していた。このほかにも被告市は、地権者、そごう以外の各種団体に対しても精力的に説明会を継続的に行っていた。

4  しかるに本件再開発事業は、昭和六〇年四月施行の郡山市長選挙を境として大きな方向変換をするに至った。その背景として昭和五五年頃から全国各地において大型チェーンストア、百貨店等が地方に進出しようとする動きが強まり、その結果既存の地元中小小売業者との摩擦が高まり、商調協阻止運動に対する機動隊の導入、行政訴訟が提起される等各地でトラブルが発生するに至った。これをみかねた通商産業省は、昭和五七年一月三〇日都道府県知事、日本商工会議所、日本百貨店協会、日本チェーンストア協会等に大店法の運用については当分の間、抑制的に行うよう通達を出して行政指導にのり出すほどであった。本件大店法三条の届出が受理されるまでに通常一ケ月程度で足りるのに一〇ヶ月近くという異例とも思われる長期間を要したのは右のような社会的背景が大きな影響を与えていた。

郡山市内においても本件再開発事業に伴い、キーテナントとして三万一、〇〇〇平方メートルの店舗面積(これは郡山市内における大型百貨店である「うすい」百貨店と「西武」百貨店の店舗面積を合算したものに相当する。)を有する都市型百貨店「そごう」の進出が公になるや、これに危機感を懐き、その進出に反対する小売業者を主とする商業者約一七〇〇名で構成する郡山そごう対策協議会が結成され、強い反対運動が展開された。

このような情勢の中にあって、昭和六〇年四月施行の市長選挙は、事実上本件再開発事業の推進者である高橋前市長と、三万一、〇〇〇平方メートルもの売り場面積を持つ「そごう」が進出すれば市内特に駅前商店街の小売業者の壊滅をもたらすという考えを持ち、郡山そごう対策協議会の支援を受けた青木市長との対決となった。当選挙においては、他にさまざまな市政上の争点があったため、本件再開発事業問題が争点特に主たる争点であったかどうかは人によって受け止め方は様々であろうが、結果として青木市長の当選するところとなった。当選後青木市長は前記のとおり原計画を見直す旨の発言を繰返した後、見直し案を地権者らに提示するに至ったが、原告ら地権者側の受け入れるところとならず、さらに右見直し案提示後四日でこれを撤回し、原計画に戻す旨発表したが、この場合においても、一、郡山市の未来像に合致すること 一、全市民の利便に役立つこと 一、行政改革の時代的要請に応じて、民間活力を導入して、財政負担の軽減を図ること 一、既存商業者と共存共栄が図られること 一、地権者の現在及び将来にわたる利益が具体的に守られること、の五原則を堅持する旨付言した。

この見直し案を発表するについては、青木市長は事務当局と必ずしも十分といえる協議をすることなく、また被告市は地権者らに対してはもとより「郡山そごう」 に対しても事前にも事後にもなんの連絡・協議をすることなく行ない、地権者ら及び「郡山そごう」は、新聞報道等で右経緯を知るのみであった。被告市は、「郡山そごう」に対し見直し案撤回後二日目の八月二六日口頭で原計画どおり推進する旨伝え、同年一〇月二日になってあらためて協力要請の趣旨を記載した青木市長名の文書を手渡した。

一〇月一日「郡山そごう」は、仙台通産局に対し出店の意思のあることを伝え、同月五日、八日、一四日、一一月二一日、一二月三日にわたり「郡山そごう」と被告市事務当局との間で原計画を推進す方向で確認・検討作業を進めていたが、一方その間にあって原計画案に戻した筈の青木市長が、商調協の審議の中断を申し入れたとか、権利変換方式よりも第三セクター方式を採用するとか、被告市自身が大店法三条で届出ている三万一、〇〇〇平方メートルの売り場面積はあまりにも広すぎる、二万平方メートル位が適当であるとか、原計画案通り実施はするが、五原則は遵守する等と次々発言していることを新聞報道等で知った「郡山そごう」側は、市長が交替したとはいえ、被告市行政に一貫性、継続性の無いことに強い不信、疑念を懐くにいたり、特に売り場面積の削減発言に関しては、これでは都市型百貨店としての経営は不可能と判断するに至った。原告らも青木市長の右発言に同様の不安、不信を懐き、何度か被告市と折衝し、青木市長の真意をただしたが、一向に事態は進展しなかった。しかし、前記のとおり「郡山そごう」と被告市事務当局との折衝は比較的円満に進み同月二四日には、開店時期については昭和六三年後半とする、とする話題すら出た程であった(なお、開店日が右のように合意決定された、とする証人野口邦彦の証言は措信し難い)。しかし、「郡山そごう」としては、一方では青木市長の原計画どおり進めるとの言に則り事務手続を進めていたものの、他方では肝心の青木市長の各発言を検討すると、事務当局と十分協議したものとは思われなく、場当り的・思いつき的なものに映り(このことは事務打ち合わせに出席した被告市助役の言動からも窺われた)、被告市側には全体として原計画どおり事業計画を遂行しようととする意欲、誠意が欠如しており、なんらかの政治的配慮から引き延ばしを図っているものと判断するに至り、数度に亘る青木市長からのトップ会談の申込みを拒否し、「そごう本社」とも協議のうえ、翌昭和六一年一月七日被告市に対し、本件再開発事業からの撤退を表明するに至った。なお当時「そごう本社」においては、三か年一兆円計画を推進中で、海外にも進出しており、本件事業に参画し得ない経理上その他の社内事情は特段存しなかった。「郡山そごう」は、本件に参画以来昭和六〇年の開店に向け、五一名もの従業員を地元で採用して各地の系列店で社員教育を実施するなど、開業準備資金として約一億五千万円、研修人件費、退職金等に約二億円、そごう全体として計約三億五千万円の費用を投じていた。

かくして、被告市に対する「郡山そごう」・原告らの被告市行政に対する信頼は完全に崩壊し、原計画構想は頓座するに至った。被告市は昭和六一年七月二二日大店法三条の申請を取り下げ、商調協も七回開催されたが中断されたまま現在に至っている。

もっとも本件再開発事業そのものはなお継続しているが、青木市長は前記五原則中の既存業者との共存共栄の原則を重視し、原計画に戻す、という発言にも拘わらず最も強い利害関係を有する原告らの意向がなんら反映されていない「郡山駅前再開発ビル計画提案競技」(いわゆるコンペ方式)をとって本件再開発事業を推進中である。この方式につき青木市長は、原計画以外は受け入れられないとして強く抵抗する原告ら地権者側と、他方では原計画以外の代案を示せとの要請の中で進退きわまり窮余の末のものである、と説明している。また青木市長は、当公判廷において右提案競技方式をとることは、原計画案に戻ったものではないことはもとより、最早や原計画に戻れない旨供述している。

5  これらの事実から判断するに、本件再開発事業そのものはなお継続しているものの、その内容である再開発ビルを建て、都市型百貨店「そごう」をキーテナントとして誘致し、地権者らの権利を右ビル内に変換するという当初の構想は、青木市長の「見直し案」の発表及びその撤回発言にも拘わらず、今や実質的に変更されたものとして推進されようとしていると理解するのが相当である。右変更に至る経緯については、背景には昭和五五年ころから社会経済情勢に大きな変動が出始めていたこと、青木市長の市首長としての政治的信条、信念-特に原計画を見直そうとする政策が選挙で支持されたとする自負-に基づくものがあって、行政の一貫性が望ましいことはいうまでもないが、一方このように時代の情勢に応じ公共の利益のため柔軟適切に施策を講じ、より良いプランを求めて絶えず見直しをしながら前進すること自体はむしろ推奨すべきことであり(本件においても商調協で審議中であるということだけで計画案そのものを見直すことが許されないものではない)、行政裁量権を逸脱しない限り許されるものであって(本件においては、再開発事業施行そのものを見直すものではなく、施策の方式・内容というきわめて重要ではあるが部分的な見直しとも評し得る)、結論的には被告市において必ずしも前市長時代に樹立された原計画に拘束されるものではないというべきである。

しかし、その際においては、前述のとおり長年に亘り行政主体の施策を信頼し、それに協力しつつ準備活動をしてきた者に対する保護が要請される。法的保護に値する信頼に反する施策の変更により不利益を蒙る者を保護しないことは著しく正義衡平の理念に反するからである。たとえ住民意思が自己の政策を支持し、これに従ったものとしてもこれを免れるものではない。本件に即していえば、原計画の「見直し」、その「撤回」、しかし実質的「変更」という一連の過程をみると、その背景的事情を考慮にいれてもあまりにも唐突であり、その結果行政に対する不信の念を醸成し、施策の重要な要である「郡山そごう」の撤退を余儀なからしめ、長年の間被告市の施策を信頼し、協力し準備活動に入っていた原告らのみをとり残し、今日に至るまでなんら代償的措置が講ぜられていないのである。そればかりか原告らは、本件再開発事業そのものが継続しているがため、昭和五〇年以来その所有する土地、建物の建築や譲渡に関し、今なお都市計画法及び都市再開発法に基づく法的制限規制を受けたまま放置されているのである(被告市は、昭和六一年一月一三日「法規制の解除については考えていない」旨地権者協議会に回答している)。

被告市にはこの信頼関係を不当に破壊した違法性が存し、かかる不法行為につき原告らに対しては法的保護が与えられなければならない。なお、被告市は、本件再開発事業は、都市計画決定が完了しているに過ぎず、未だ事業計画自体実現していないから原告らには具体的権利性を争う地位を有しないと主張するが、後記のとおり請求権の内容如何によってはそのような結果になるものもあるが、事業段階の如何を問わず生成・発展してきた信頼関係は既に法的保護に値するものであって一般的に権利性を否定しさることはできない。

三1  家賃純利益と保証金運用利益について

原告助川義光・助川光知子・内山町子・株式会社丸忠佐藤材木店・佐藤勝久・佐藤貞・佐藤保夫・株式会社丸蒲青果総合食品市場は、昭和五八年六月五日被告市と「合意」した権利床のキーテナントからの賃料及び保証金を基礎として、再開発ビルのオープン予定日である昭和六一年一〇月一日を起算日として三年分の家賃純利益と保証金運用利益の損害を蒙った、と主張するので判断する。

前記認定のとおり本件「合意」の実体は、原告らにおいて将来の採算性を検討し、資産の一部であれ全部であるかを問わず再開発ビル内に権利変換をするか、区域外に転出するかの判断資料として、反面被告市としては施策を遂行していくうえでの地権者らの概括的意向を把握するために一定の試算額を提示し、この点において一応の了解が得られたに過ぎないものであって、法的拘束力を有するものではない、と解すべきである。被告市としては、右了解の得られた試算を施策遂行の中で実現するよう努力すべき義務を負うが、原告側においてこれに対応する具体的な権利を取得するものではない。

このことは、当時の状況或は事柄の性質から法的拘束力のある合意の形成が困難なものであることから明かである。すなわち右了解のあった当時、被告市と原告らとの間においては、主観的には了解どおりの金額で手続が進行するであろうとの予測・期待があったものと思われるが、これとても前提条件とりわけ再開発ビル内にキーテナントが確保する売り場面積の範囲に依存するところが大であった。当時は前記のとおり大型店の地方進出に対し、地元小売業者が猛反対するという全国的風潮の中で郡山市だけが例外でなく、また、かつて郡山市内において大手デパート、スーパーマーケット等の進出にあたり、商調協において売場面積が三二パーセントも削減されたという前例があり、このため当時の状況からすれば、商調協において「郡山そごう」の要望する三万一、〇〇〇平方メートルもの売場面積がそのとおり承認されるとは予測し難い客観的状況にあったうえ、仮に地元商調協の承認が得られても、周辺の中小小売業者の事業活動に相当程度影響を及ぼすおそれがあると認められるときは、通商産業大臣は売場面積の削減に関し変更勧告(大店法七条)、さらには変更命令(同法八条)を発し得るのであって、このように売場面積の範囲の確定自体が極めて流動的であり、結果によっては施策の正否そのものを左右する要素を持つものであった。従ってこれを前提とする資料・保証金の試算も本来的に未必的・不確定的なものでしかあり得ない性質のものなのである。

仮に本件の合意に法的拘束力を認めるとしたら以下のような不都合が生じる。すなわち都市開発事業は、都市計画決定、事業計画決定、権利変換決定の手順を経て進められるのであるが、昭和五八年当時、本件再開発事業は都市計画決定を終え、次の事業計画決定に向けて手続が進行していた。事業計画決定が公告されると施行区域内の権利者で権利変換を希望しない者は三〇日以内に区域外に転出する旨申し出ることができ(都市再開発法七一条-要するに、権利者は右期間内に態度決定が迫られる)、その後施行者は遅滞なく権利変換計画を定め、その認可を得(同法七二条)、権利者は権利変換期日において右権利変換計画の定めるところに従い権利を取得する(同法八七条)ことになる。右の手続に従えば、本件賃料、保証金の類は権利変換期日を経て始めて具体的に発生する筋合いのものである。本件においては未だそこまで手続は進行していない。従って将来どのような内容として確定するか定かでない事項についてあらかじめ合意をして当事者を拘束することの不都合はいうまでもない(原告らにとっても必ずしも有利とはいい切れない)。もっとも本件においては、他の行政手続にみられるように一定の行政目的の達成に向って手続がいわば「前倒し」的にあるいは「同時並行」的に進行し、またそれなりの合理性もあったのであるが、そうだからといって重要な右手続きを軽視することは許されない。法的効力のある合意であるとして右手続きに代置或は先取りすることはできない。

いずれにしても、被告市の不法行為による侵害対象とはなりえず、この点についての原告らの請求は具体的内容について検討するまでもなく理由がない。

2  住宅新築設計図面作成料等について

原告助川義光・助川光知子は、住宅新築設計図面作成料、建物取壊による取壊費用、移転先代替土地測量及び境界確認証明手続費用を、原告内山町子、内山博は新築設計図面作成料の請求をなすので、この点につき検討する。

請求原因6、(三)、ア、イの各〔[2]〕記載のとおりの額を右原告らが支払いあるいは債務負担した事実が認められることは前記認定のとおりである。

これらの負担に対しては金額の相当性については検討の余地があるにせよ、本件再開発事業の遂行のうえで補償の対象となるべき筋合いのものである(各原告の権利変換モデルには区域外に転出する者に対する補償費目が定められており、本件請求費目もこれらに該当するものと思われる)。しかし、これらの費目は、本件再開発事業が実現した段階で補償されるべきものであり(なお実現しないことが確定した場合には、相当因果関係のある範囲内で清算されることがあり得よう。原告内山町子は、代替地取得依頼の取消を市長宛になしており、新築設計図面は当該代替地の関係ではさしあたり役に立たなくなったが、これとても本件再開発事業の終結した段階で検討されるべき事項である。)、今なお本件再開発事業自体が継続している以上補償の時期ではない。即ち原告らが区域外に転出しようとすれば一時的に負担せねばならずかつ又必ずや相当額の範囲内で補償されるべきものであって、被告市の不法行為による損害として観念すべきものではない(もっとも早期にこのような準備に着手しながら今なおこれが実現に至っていない点は、慰謝料の算定のうえで斟酌されよう)。請求内容の当否を検討するまでもなく主張自体失当である。

3  地権者会議等出席による日当等について

原告助川義光・内山博・遠藤俊一・土橋進らは本件再開発事業に関する会議・説明会・調査会等に出席したが、被告市に不法行為が成立するので日当相当の損害金として請求するので判断する。原告らが請求どおりの回数の地権者会議等に出席したことは認められるが、これらの会議等は、つまるところ本件再開発事業を理解し、生活不安を解消するため本来自主的に参加、出席するものであって、なかには半強制的に出席せざるを得ないものもあったであろうが新しい施策が実施される際にはある程度やむを得ないことで、受忍の限度内にあり、被告市に不法行為が成立するからといって出席したことが即日当相当の損害に転化するものとはいえない(もっとも早期実現に向けて払われた原告らの努力は慰謝料の算定のうえで斟酌されよう)。よって、日当額の相当性を検討するまでもなく主張自体失当である。

4  慰謝料について

原告ら全員は、被告市の不法行為により精神的苦痛を蒙ったとして慰謝料の請求をなすので検討する。

前記認定の通り、本件再開発事業は、昭和四六年ころ萌芽がみられ、同四九年ころからは原告らを含む地権者と折衝が持たれるようになり、以来少なくとも青木市長の見直し発言が出るころまでは、原告らは一貫して被告市の施策に協力してきた。即ち原告らは従来の生活基盤を根底から変更を余儀なくされる施策に対する理解を深め、将来に対する不安・動揺を解消するため多数回の地権者会議等に参加し、また自主的に勉強会、陳情、視察等を行い、被告市自身が提案した「郡山そごう」をキーテナントとする権利変換方式を了承し、権利変換希望者には家賃・保証金等についての試算が示され、具体的な法的権利とまではいえないにしても一応の営業権保証の目途を取得させ、区域外転出予定者には、早々と代替地を確保して新築家屋の構想を練らしてその準備をさせ、その結果として、再開発ビルのオープン予定日まで公表されるに至ったのである。しかるに、青木市長の見直し案及びその撤回、「郡山そごう」の撤退という事態に発展し、遂には原告らが信頼し協力してきた原計画とは全く別個の施策内容に変更され、その間なんら代償的措置が講ぜられず、原告らの被告市行政に対する当初の信頼関係は亙解した。そして本件再開発事業自体が継続している関係から、原告らは今なお各種行政法規のもとで権利が凍結されたままに取り残されているのである。

たまたま本件区域内に住居を有し或は営業の基盤を有していたがばかりに、都市の健全な発展と秩序ある整備を図り、都市の合理的かつ健全な高度利用を目指すという高度な公益目的をもった都市計画法、都市再開発法の適用をうけることとなり、自己の生活基盤を根底から変更せざるを得ないことを知りつつこれに協力してきた原告らにとっては、今回の一連の青木市長のもとでの被告市の行政は、まさに晴天の霹靂とでもいうべきものであって、この間にあって蒙ったと認められる原告らの精神的苦痛に対しては慰謝の措置が講じられなければならない。

慰謝料の算定にあたっては、本件が原告らの土地、建物、営業権といった生活をしていく上での財産的基盤に関連するものだけに各原告らの本件再開発事業の対象とされた資産、営業の各規模が最大限尊重されねばならず、その他に区域外転出等のためにとった諸準備活動、地権者会議等への出席状況その他諸般の状況を綜合斟酌するならば、慰謝料として

原告助川義光は金一三〇万円

同助川光知子は金五〇万円

同内山町子は金一七〇万円

同内山博は金八〇万円

同遠藤俊一は金五〇万円

同株式会社丸忠佐藤材木店は金五〇〇万円

同佐藤勝久は金一五〇万円

同佐藤貞は金一五〇万円

同佐藤保夫は金五〇万円

同株式会社丸蒲青果総合食品市場は金一九〇万円

同土橋進は金五〇万円

がそれぞれ相当である。

(なお、原告佐藤保夫は、既に自己名義で被告市から代替地を取得しており、その点他の原告らと事情を異にするが、これとても本件再開発事業の内容・成否如何によっては覆るやも知れず、精神的不安という面では他の原告らとなんら変わりはない。)

四  結論

よって、原告らの本訴請求は、右慰謝料及びこれに対する昭和六一年八月二二日(原告土橋進については同月二一日)より支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書をそれぞれ適用し、仮執行については相当でないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 今井俊介 裁判官 沼里豊滋 裁判官 林 敏彦は、転任のため署名捺印ができない。裁判長裁判官 今井俊介)

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